こんにちは、ばーしーです。
2019年5月26日放送の「消えた天才★ダルビッシュ有&井上尚弥&吉田沙保里&桑田真澄SP★」の話題ですね♪
なかでも、最近は息子さんが注目される機会が多いですが、桑田真澄さんが憧れ続けていた選手が話題です。
さっそくチェックしていきましょう。
目次
2019年5月26日「消えた天才★ダルビッシュ有&井上尚弥&吉田沙保里&桑田真澄SP★」放送内容について
2019年5月26日「消えた天才★ダルビッシュ有&井上尚弥&吉田沙保里&桑田真澄SP★」の放送予定内容はこちらです。
▼桑田真澄が憧れ続けた悲劇の天才投手「俺を殺してくれ」…天才が歩んだ壮絶人生&桑田との知られざる感動秘話 ▼最強ボクサー井上尚弥が唯一完敗した日本人ボクサー!天才だけが見抜いた井上の「弱点」とは? ▼レスリング吉田沙保里が恐れた天才は22歳で突然引退 ▼バレー竹下佳江が認める天才…なぜか代表入り直後に突然消えた ▼日本全国の「ダルビッシュ2世」たちを大追跡!衝撃の転身…ダルビッシュ本人との絆
この記事では、桑田真澄さんが憧れ続けた天才投手が誰なのかについて紹介していきます。
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桑田真澄が憧れていた天才投手は誰?PL学園時代の先輩?
桑田真澄さんは清原和博さんと共にPL学園で活躍し、読売ジャイアンツ入団。
そして、メジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツで現役引退をされました。
桑田真澄さんの野球人としての素晴らしさは多くの方がご存知だと思いますが、桑田真澄さんを語る上では、その人柄の良さというのも重要です。
読売ジャイアンツ時代に共に戦った選手に、元メジャーリーガーのガリクソンという投手がいます。
桑田真澄さんがメジャーの道を選んだのも、このガリクソンの影響があったと言われており、二人は非常に仲が良かったわけですが、ガリクソン投手は息子のミドルネームに「クワタ」と名付けています。
それほど桑田真澄さんの人間性には素晴らしいものがあったということを感じます。
桑田真澄の憧れの天才投手・清水哲との出会いは中学時代
2019年5月26日「消えた天才★ダルビッシュ有&井上尚弥&吉田沙保里&桑田真澄SP★」の放送で、桑田真澄さんが憧れ続けてきた天才投手として紹介されたのは清水哲さんです。
PLの先輩・清水哲氏が語る 清原容疑者は「気の弱い男」 https://t.co/E6sPqYR21E pic.twitter.com/Iekchmdguh
— スポーツ報知 (@SportsHochi) March 1, 2016
清水哲さんと桑田真澄さんとの出会いはPL学園高校時代に遡り、清水哲さんは桑田真澄さんの一つ上の先輩に当たります。
桑田真澄さんは、PL学園に入るまでは、準硬式野球の経験しかありませんでした。
準硬式野球というのは、表面(見た目)は軟式球のゴムで、中身は硬式球というボールで行う野球になります。
ほとんどの選手が中学から硬式野球で実績を積んで、高校野球界に入る人がほとんどです。
なぜこのようなルートを辿ったかというと、それは今回の記事の主役である清水哲さんの誘いがあったからです。
清水哲さんも準硬式野球で経験を積んでおり、桑田真澄さんとの対戦がありました。
桑田真澄さんとしても、清水哲さんのピッチングに強い憧れがあったため、その誘いを受け、PL学園に入学するという道を選びました。
清水哲さんはPL学園卒業後、同志社大学に進学をされましたが、そこで選手生命を絶たれるアクシデントに起きてしまいました。
清水哲はPL学園卒業後、同志社大学在学中の試合で頚椎骨折
桑田真澄さんが憧れるほどの実力を持った清水哲さんでしたが、PL学園卒業後、同志社大学在学中の公式戦で、首から下が動かないというアクシデントに合い、選手生命を絶たれてしまいました。
清水哲さんは、当時のことをこのように語られていました。
秋の関西学生リーグの公式戦、私は2番レフトスタメンで出場していました。
5回裏、2アウトからフォアボールを選んで1塁に出塁しました。次のバッターのカウントが2―1から2塁にスタートを切りました。
走りながらバッターを見ると見送ったのが見えました。「なぜ、打たないのか?」。そんな事を考えながら滑るタイミングが遅れたのです。「危ない、ぶつかる」と思った時にはもうどうすることもできませんでした。
次の瞬間、ぶつかった事だけはわかっていました。「これだけぶつかったのだから相手の選手もボールを落としてるかもしれない。とりあえずベースタッチだけはしよう」。そう思って目を開けようと思いましたが、目を開ける暇はありませんでした。
私が目を開けようと思った瞬間、今までに味わったこともない激痛が首に走りました。この時です。私が地獄に落ちたのは…。
このような事故はあまり聞いたことがありません。
いろいろな不運が重なって起きてしまった事故に感じます。
この事故から、清水哲さんは桑田真澄さんにこのように言うほどの状況となっていたそうです。
俺を殺してくれ
絶望の淵にいた清水哲さんに、励ましの言葉をかけ続けたのが元チームメートで後輩の桑田真澄さんや清原和博さんで、PL時代の同級生らが中心となり、清水哲さんを励ます「哲和会」を結成。
現在も交流が続いているそうです。
PL学園が練習試合でユニホーム復活、清水哲監督「変な野球はできないので」 https://t.co/CLg2MjTvIE
— 高校野球ニュース (@Kokoyakyu_News) March 17, 2019
消えた天才|桑田真澄が憧れたPL学園先輩は誰?清水哲の悲劇とは|まとめ
事故のエピソードを聞くと、本当にうまく言葉で表現することができません。
それでも、現在も続く桑田真澄さんを始めとする「哲和会」の話を聞くと、ガリクソンが息子のミドルネームにクワタと名付ける理由が分かる気もしますね。


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