シンソウ坂上|大原麗子の孤独死の理由と真相は?整形失敗や中絶の壮絶人生とは

こんにちは、ばーしーです。

2019年6月20日放送の「直撃!シンソウ坂上【女優・大原麗子の孤独死から10年…浅丘ルリ子&実弟が激白】」が話題です。

タレント好感度ランキングで何度も1位を取っていた大原麗子さんですが、まさかの孤独死という最期を迎えてしまったことに、当時多くの方がびっくりされたと思います。

大原麗子さんの死後10年が経過している中、今回放送では、新たに明らかになった真相がありました。

さっそくチェックしていきましょう。

2019年6月20日「直撃!シンソウ坂上【女優・大原麗子の孤独死から10年…浅丘ルリ子&実弟が激白】」放送内容

今回の放送前には、このような番組紹介がありました。

6月20日(木)の『直撃!シンソウ坂上』では、今から10年前に孤独死した女優・大原麗子を特集する。  かつて「タレント好感度ランキング」では複数回にわたって1位を獲得するなど、華やかで可憐な存在で誰もが目を奪われた大女優・大原麗子。彼女がなぜ、孤独死を迎えなければならなかったのか、大原さんが姉と慕った女優・浅丘ルリ子に、番組MCの坂上忍がインタビューを行う。浅丘が語る素顔の大原さんとは果たして?また、孤独死の半年前に、涙ながらに語った大原さんの肉声をはじめ、フジテレビに残る大原さんの秘蔵映像も公開。さらに、第一発見者となった、たった1人の肉親の弟が生々しい孤独死の状況を語る。突然の孤独死から10年、女優・大原麗子の全てが新たにひもとかれる!

今回の放送では、なぜあの大原麗子さんが孤独死という最期になってしまったのかについて、浅丘ルリ子さんや実弟の大原政光さんのインタビューによって、真相が語られました。

「テレビタレントイメージ調査」の女性部門で13度も1位を獲得、日本を代表する女優として順風満帆な人生を送っているかのように思えた大原麗子さんは、なぜ孤独死を迎えなければならなかったのでしょうか。

元夫・森進一との子供を妊娠も中絶?離婚理由は結婚観のすれ違い?

大原麗子さんは二回結婚をされています。

初めての結婚相手は、故・渡瀬恒彦さん。

しかし、1974年に始まった2人の結婚生活は約4年半で離婚という結末を迎えていました。

そして、1980年6月には、歌手・森進一さんと再婚。

森進一さんとの結婚生活も長くは続かず、1984年(昭和59年)に破局に至りました。

離婚会見で「家庭に男が2人いた」と言われていましたが、その言葉の真意は、森進一さんとしては家庭を優先して欲しいけれど、女優業を優先させたいという、仕事を優先したい大原麗子さんとのすれ違いと推測されます。

「家庭に仕事を優先したい人が2人いた」ということだと。

結婚する際に、どのような話をされていたかは分かりませんが、お互いの人生観の違いということかと思われます。

そして、当時明るみになっていませんでしたが、大原麗子さんは森進一さんの子供を妊娠し、中絶をしていたということが今回の放送で、大原麗子さんの実弟である大原政光さんによって語られました。

このエピソードからも、離婚の原因や理由は妊娠がきっかけで、お互いの主張がすれ違い、もう結婚生活は続けていけないと判断したということかもしれませんね。

二重まぶたの整形手術が失敗?ギラン・バレー症候群も再発?

あれほどおキレイな大原麗子さんでしたが、さらに磨きをかけるために、53歳の時に左目の一重まぶたを二重まぶたにする整形手術を受けたそう。

しかし、術後にまぶたが腫れ上がってしまい整形失敗となってしまったようです。

これはどうやら施術をした医師に問題があるようで、整形手術を受けたということ自体が明るみにならないように、いわゆるモグリのような医師を選んでいました。

その判断が人生を大きく狂わせる原因となってしまい、この整形失敗を機に、仕事は完全になくなってしまいました。

すると、1975年に患っていたギラン・バレー症候群も再発。

そして、母親の介護も重なり、追い詰められてしまった大原麗子さんは、躁鬱病となってしまいました。

このような経緯から、大原麗子さんは自宅に引きこもる生活をするようになったそうです。

大原麗子は孤独死を選んだ?『孤独な鳥の、5つの条件』とは

デビュー当時からの大原麗子さんのマネージャーである佐藤嘉余子さんは、亡くなる直前まで寄り添っていたそうで、今回の番組ではありませんが、当時のことをこのように語られています。

 麗子さんのことが語られるとき、「孤独死」という言葉がよく使われます。離婚を繰り返して、仲の良かった人々も離れていって、1人寂しく死んだというような報道も目にしました。

https://news.livedoor.com/article/detail/13530586/

佐藤嘉余子さんは、大原麗子さんは孤独死ではないと考えているそうです。

大原麗子さんが亡くなる6年ほど前に同居していた時期があったそうですが、大原麗子の衣裳部屋の壁に、サン・ファン・デ・ラ・クルスというスペインの詩人が書いた『孤独な鳥の、5つの条件』という詩が貼ってあり、その詩を大原麗子さんは毎日眺めていたそうです。

一つ 孤独な鳥は高く高く飛ぶ
二つ 孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない
三つ 孤独な鳥は嘴を天空に向ける
四つ 孤独な鳥は決まった色をもたない
五つ 孤独な鳥はしずかに歌う

https://news.livedoor.com/article/detail/13530586/

そして、亡くなる2年前に、佐藤嘉余子さんにこのように言うようになったそうです。

カヨさん、私は死ぬときにはスーッと消えて、そのままいなくなりたい

https://news.livedoor.com/article/detail/13530586/

この言葉が本当ならば、大原麗子さんは望んだ形の最期であったと言えるのかもしれませんね。

【直撃!シンソウ坂上】大原麗子の孤独死の理由と真相は?整形失敗や中絶の壮絶人生とは|まとめ

2019年6月20日放送の「直撃!シンソウ坂上【女優・大原麗子の孤独死から10年…浅丘ルリ子&実弟が激白】」では、これまで明らかにされなかった中絶というショッキングな事実も語られ、大きな話題となっていますね。

次回の放送も楽しみです。

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