こんにちは、ばーしーです!
2019年4月17日(水)放送の『衝撃のアノ人に会ってみた!ヒカキン自宅に潜入&箱根駅伝SP』が話題ですね!
ヒカキンさん家、半端なかったですよね〜
噂では家賃300万円/月とか言われてますが、ホントそんな感じのお部屋でしたね!
それはそれでおもしかったのですが
それよりも、涙を誘った箱根駅伝ランナーが話題です!
さっそくチェックしていきましょう!
目次
衝撃のアノ人|箱根駅伝に27歳で挑戦したのは誰?順天堂大給水係の小盛玄佑
涙を誘った箱根駅伝ランナーは、当時順天堂大学の小盛玄佑さんです。
本日のスポーツ報知「箱根への道」で、本学の小盛玄佑(4年)が特集されました!箱根への熱い思いが綴られています!! pic.twitter.com/8lBnUnAVk9
— 順天堂大学陸上競技部 (@juntendo_t_f) April 29, 2015
こちらの新聞の取材当時は26歳で、2016年の箱根駅伝が開催された時は27歳でした。
27歳だけど、大学生なんです。
一体どうして、その年齢で、箱根駅伝に挑戦したのでしょうか?
衝撃のアノ人|順天堂大給水係の小盛玄佑は社会人から大学生になった
小盛玄佑さんの夢は、箱根駅伝に出場すること。
高校は駅伝の名門広島世羅高校で、全国高校駅伝で都大路を走った実力者として経験を積み、夢に向かって順調に進んでいました。
しかし、経済的な理由から、高校卒業後に、箱根駅伝に出場するために絶対必要な大学進学ができず、夢を諦めることになり、地元広島の日新製鋼に就職し、社会人となりました。
社会人になってからも「箱根で走りたい」という思いを捨てることは出来ず、大学へ入学するために自分の働いて得たお金を貯め、自分の力で順天堂大学入学という、箱根駅伝で走るために最低限必要な条件を勝ち取りました。
衝撃のアノ人|小盛玄佑は稲田翔威の給水係として箱根駅伝に出場
小盛玄佑さんは、順天堂大学入学後、怪我に苦しめられながらも、懸命にトレーニングを積みました。
しかし、箱根駅伝に出場できる最後の年まで、メンバーに選ばれることはありませんでした。
そこで、小盛玄佑さんは夢を諦めず、どんな形でも叶えたいという思いから、同級生である稲田翔威さんの給水係を志願し、描いていた形ではなかったものの、箱根駅伝という夢の舞台で20mを走ることができたそうです。
稲田翔威さんとは、歳の差がありながらも、非常に良い関係を築けていたんだと、稲田翔威さんのツイッターからも感じ取ることができます。
そんな相手だからこそ、給水係を買って出るということに繋がったんですね。
こちらが、水槽をタダで手に入れてドヤ顔歓喜する小盛玄佑さんになります。 pic.twitter.com/Gc1RCOYzv8
— 稲田翔威 (@runner_syoui) September 13, 2014
小盛玄佑の姿が見えん…抜け駆けして卒論してたら許さんぞ。 pic.twitter.com/BZOmiv9bG6
— 稲田翔威 (@runner_syoui) November 5, 2015
世羅が大会新で優勝して思わずガッツポーズが出てしまった小盛玄佑さん27歳。母校愛が素晴らしいですね。 pic.twitter.com/jYcrtxFA7Q
— 稲田翔威 (@runner_syoui) December 20, 2015
朝練帰りに平然とカメを拾いポッケに入れて帰ってくる25歳成人男性「小盛玄佑」はこちら。 pic.twitter.com/GEtn2WJyvv
— 稲田翔威 (@runner_syoui) May 27, 2014
衝撃のアノ人|箱根駅伝に27歳で挑戦した順天堂大給水係の小盛玄佑に当時のネットの声は?
当時から駅伝ファンの中では、この小盛玄佑さんのストーリーに感動の声が聞かれていました。
明日の中山駅伝、世羅陸協の補員に小盛玄佑さん入ってるの個人的に胸熱ですですね、走ってほしい
— あおい (@4178K) January 27, 2018
泣けた〜
順大の小盛佑玄くんの給水伴走も
隠れた名場面です。
#箱根駅伝 #順天堂 #小盛佑玄 https://t.co/MlnQwdmnLL— サトサト (@sato1593) January 7, 2016
順天堂大学の小盛玄佑選手ほんとうにかっこいい!てか、尊敬する!!
— まい【消してはないです】 (@TU_biglove) January 4, 2016
小盛玄佑さんの話とか特集とか泣ける#箱根駅伝
— 彼氏♡ (@kyonchance8887) January 3, 2016
衝撃のアノ人|箱根駅伝に27歳で挑戦したのは誰?順天堂大給水係の小盛玄佑まとめ
夢を一度諦め、また夢を叶えれる切符を自分の手で掴み取ったかと思いきや、実力の世界で破れてしまったという、なんとも切ないストーリーですよね。
しかし、選手としての箱根駅伝の出場という形では成し得なかったものの、どんな形であっても、箱根駅伝で走るという夢は叶えた。
一番望んだ形ではないものの、夢を諦めずに突っ走るという気持ちは、どの年齢になっても忘れてはならないものだと、改めて感じましたね。
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